巻頭言

 

テクノロジーリーダーシップ

塚田 裕


 21世紀の一年目は、20世紀の考え方のままでは、新しい世紀を生きていくことはできないことが、世界的に示された年であった。
 ニューヨークのテロ事件のひと月ほど後に、ヨーロッパに行く機会を得た。事件の直後にもかかわらずフランクフルト空港で、荷物のチェックインにX線をかけないことに驚いた。聞いたところ、後でサンプリングでするそうだが、テロ慣れ!してるとは言え、日本との反応の違いに驚いた。同時期に、米国での国際会議で日本の発表者のキャンセルが極端に多く、主催者側から批判が出たことも耳に入った。日本人は紛争やテロに対して無垢だという他に、日本人の見る世界観は、ほとんどTVという窓を通したもののような感を受けた。TVというフィルタをかけて選択された情報と、実際の世界のギャップは多い。まして、日常の情報となると、TVの窓を通しては単なるノイズとしてしか捉えられない。
 ドイツの典型的な田舎ホテルで、PCをインターネットに接続しようとしたら、“回線はデジタル交換機により管理されているので接続できません”とメッセージが出てきた。また、日本ではまだ、アナログの衛星放送があると言ったら驚かれてしまった。アナログ接続が使用できない融通のきかなさには苦笑いさせられるが、ヨーロッパのデジタル化の進行のレベルは高い。ハードウエアばかりでなく、スイスにいて、英国から発信される日本の放送を衛星から受けることもできる。日常の生活では、国際的情報化の進行は、日本の数年先を行っている。
 一方、トランジスタラジオから始まった日本の世紀は、恥をしのぎ、命をかけて世界中を走りまわった技術者たちの努力の結果として、1980年代にピークを迎えた。しかし、そのときの世界一の品質、世界一の先端技術の評判を、将来に向けて再投資することを忘れずにやって来ただろうか。確かに携帯電話や、先端民生電子製品は世界一小さく機能も優れている。外国の携帯電話は、サイズは大きく造りも粗い。一世代どころか、二世代も三世代も古く見える。そのような情報を見れば、日本の優位性は動かないように見えるが、実際、世界の情報化は、はるかに日常生活の中にまでダウンサイジングを果たしている。一方、こちらでは年間400万台もその携帯電話を捨てる。
 メインフレームの時代からそうであるが、圧倒的なテクノロジーが製品の競争力を高める。世界はテクノロジーをもって産業が成り立っていく時代に入った。確かに、小さいことや、低コストもテクノロジーであるが、単なる最適化では、今後、世界的地位は確保できない。いま、実装は“JISSO”として通用すると言うが、最適化だけではなく、生活を変えるまでのテクノロジーの存在が必要である。学会はテクノロジーを生み出す源泉であり、技術交流で世界的な波を感知することや、協力や協業体制を生み出すネットワーク構築の機会である。外国の学会、団体との交換記事、外国メンバーの加入、講演会やシンポジウムでの外国団体のセッション、等々、実施できることはいくらでもありそうに思われる。

社団法人エレクトロニクス実装学会副会長/日本アイ・ビー・エム 理事
「エレクトロニクス実装学会誌(Vol.5、 No.1)」巻頭言より


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